メンタルヘルス コラム

2019年04月19日

〈痛みの分かる人〉 末田 南医師

痛みの分かる人
 とやま健診プラザ  末田 南医師

 他人にできた擦り傷を目にしたとき、大多数の人はひりひりとしみるような感覚を思い出し「痛そうだな」と思うだろう。しかし、痛風発作の痛みや胆石発作の痛みとなると「ああ、あの痛さね」と感覚的にわかる人は多くないはずである。経験したものにしか分からない、というやつで、「それは痛そうだな」とは思っても、どの様に痛いのかは分からない。痛みを表現するよう求められて、ニュアンスの伝わらないもどかしさを経験したことのある人も少なくないだろう。

 医療従事者は痛がっている人を診ることは日常でも、自分が経験した痛みではないことが多い。いわゆる痛みの分かる人ではないのである。(精神的な話はおいておく。)医学書には疾患ごとに痛みの特徴が述べられてはいるものの、実際のところは分からない。これまでに診た患者の表現を拝借したりしつつ問診していくのである。身体所見から有力な診断名が浮かぶことも多いが、よい問診が出来ていると身体所見をとる前にほぼ診断がついている。「痛み」という大きな情報をうまく引き出すと、診断はより早くなるのである。実際に痛みを体験していれば、ニュアンスまで汲むこともできるし患者の置かれた状況への共感も容易になるだろう。

 わたしは医師になってからというもの、インフルエンザに罹ったこともなく、消化器系の病気をしたこともない。虫歯の経験もない。幸いにして、大病や大怪我には見舞われずにすごし、痛みの分かる人からはほど遠い状態であった。が、去る3月に左膝蓋骨を折った。雨の夜に転倒したのである。自分で診断ができるため、その日はそのまま帰宅して眠り、翌日近所の整形外科で固定してもらった。知識があるということは楽チンなものなのである。とはいえ、具体的に膝蓋骨骨折の痛みを味わうのは初めてである。まったく荷重ができず、伝わる振動が痛くて靴を履くのに時間がかかり、と固定前は大変であった。固定されると痛みはかなり楽になるのだが、膝を完全に伸ばした状態になるため、とにかく動きづらい。自宅や職場のトイレの個室は狭くて扉を閉め切れないし、タクシーに乗っても後ろ座席に左下肢を投げ出すようにしなければならない。これまでたくさんの膝蓋骨骨折患者を診てきたが、固定されている期間、どういうことが出来なくて、どのように不便なのか、やっと身に沁みてわかったのであった。この国のバリアフリー化がいかに進んでいないのかも、よく分かった。

 経過は順調で4週間で固定は取れ、現在はリハビリ中である。固定されている期間、周囲の人々にはいろいろと世話になり感謝することも多かった。以前よりは痛みの分かる人になれただろうか。そうであれば、膝蓋骨骨折も無駄ではなかった気がする。

 とはいえ、このような経験値を上げ続けるような状況は決して楽しいものではないので、用心して生活しようと思う春である。

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